らめらたんのランドセル

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No.7 : 「イキリ」は悪なのか

 現代を生きる者であれば恐らく耳にしたことがあるであろう「イキる」という言葉。「イキリオタク」などの形でしばしば使われている印象を受ける。世間一般的な「イキる」ことに対するイメージは、マイナスなものが多数である。

 完全な蛇足ではあるが、「マキリ」というものもある。これはアイヌ語で「小刀」を意味し、かつてアイヌ民族はこれを用いて狩猟ないしは漁を行なっていた。

 それはさて置き、「日本語俗語辞書」という辞書サイトがある。そこにも「イキる」についての解釈が載せられている。

イキる(いきる) - 日本語俗語辞書

 ここで注目して欲しいのは「意気がる」の略とされていることだ。そもそも「イキ-がる」を漢字表記する場合、その意味を考慮しても「粋がる」が自然ではなかろうか。実際に私の愛読書の一つである明鏡国語辞典第二版で「イキ-がる」を探してみると「意気がる」は存在せず、「粋がる」の存在のみが確認出来る。別の表記がある場合は併せて書かれているのだが、これに関しては特にそれも確認出来ない。因みにこちらには「自分がいきだと思って得意がる。いきぶる。」(原文ママ)と記されている。私の考えとしても「粋」であるかのように振る舞うことが「イキ-がる」ないしは「イキる」の意味である。だから私は「イキ-がる」の漢字には当然「粋がる」を推す。

 本題に戻ろう。この「イキる」ということは果たして悪なのか。敢えてこのテーマについてブログ化しているという辺りで察しがつく方も多いのではないか。私は必ずしもこれが悪だとは思わない。だが、勘違いしないで欲しいことが1つある。「イキリオタク」に関しては恐らく悪だと言うこと。少なくとも私は21年ちょっと生きてきて人権付与に値するイキリオタクに出会ったことは無い。残念ながらこれはマジである。つまり悪ではないのは「イキリオタク」を除いた「イキリスト」である。そもそも「粋」とは何なのか。そこからスタートするのがこの問題。ここで再び彼の出番である。そう、明鏡国語辞典第二版くんである。

 

 「粋の意味を教えてください...!!」

 「①容姿・気風などが洗練されていて、しゃれた色気があること。あかぬけしている、粋(すい)。」

 「有難うございます。でも①ってことはもしかして...!?②もあるなら教えていただきたいです。」

 「②義理人情を解し、物分かりのよいこと。」

 「マ?助かります。流石に③は無いでしly...」

 「③花柳界(かりゅうかい)の事情に通じていること。また、花柳界。」

 「いや、マ?3つもあって草、有難うございます。」

 

 そしてLamela_tan、ここで気が付いた。この「粋」の表記欄に書いているではないか。

 

「意気」から出た語。「意気」とも書くが、「粋」またはかな書きが一般的。

 

 なるほど、元を辿れば「意気」なのか。しかしやはり、一般的とされるのは「粋」の方であるようだ。さらに派生という欄があり、そこに「-が・る」と示されている。分かり切ったことではあったがここで改めて「イキる」が「粋がる」から派生してできた語であることを認識することが出来る。

 

 んで、考えた。「イキリ」はやっぱ総じて悪だわ。うん。でもね、それは現時点での「イキリスト」の話。現時点での「イキリスト」、それは「粋」の意味で言う①のように振る舞っている人のことを指す。しかし、もしも今後「花柳界の事情に通じている」ぶっている「イキリスト」が爆誕したらどうだろうか?所詮「ぶっている」だけとは言え、花柳界について少しでも触れようとしている或いは触れているのならば、それなりの評価を下しても良いのではないか。②に関しては最悪だ。義理人情を解したように振る舞っている人間なんぞ見たくもないし、現在発生している「イキリスト」よりもタチが悪いだろう。

 とここまで批判のような何かを並べてきたが、努力の出来る「イキリスト」に関しては評価しても良いのではないかと私は思う。「粋」に振る舞う為に研究を重ね、見事に「イキる」ことが可能になったのなら、それはアウタルキーそのものであり私としては評価の対象としても良い。

 

 皆さんが「イキリ」についてどうお考えかは勿論分からない。しかしこのブログを読んだことで「粋」についての理解を深められたのなら私は嬉しい。そして「粋」は思ったよりも雅なものであることも分かった。是非皆さんには「粋の意味を知っているんだ」ということでイキって欲しい。私のブログを読むという努力をして下さったのだから。