No.10 : 音楽狂室
※この物語はフィクションです
潮騒が耳を刺激した。「騒」という字を当て嵌めるような雑な様子ではない。どちらかと言えば「彩」が耳で感じられる程に豊かな音。潮彩と言っても過言ではない。この海の中で魚たちは宴をしているのだろうか。一方でプランクトンたちはその宴の餌とされているのかも知れない。無数のプランクトンのことを思い浮かべニヤリと笑みを浮かべた。
8月ももう中旬。彼女の詩礎子を連れ太平洋が一望できる町へやってきた。ちょっとしたドライブだと言い、実に52時間をかけて辿り着いたこの町はどこか懐かしさを覚えるようなそんな雰囲気に包まれている。波の運動と呼応してプカプカと動く漁船。その近くには干からびた海藻が日光浴をしている。防波堤では地元の子どもたちがフィッシング。彼らには無許可でクーラーボックスの中を除くと檜の香りのする入浴剤が入っており、その中で鯵のような魚が2尾、白目を剥いて浮かんでいた。これがこの地域の伝統的な保存方法なのであれば文句は無いがそうでないのなら...と考えると末恐ろしい。これは1つの犯罪なのではないか。そして持ち帰ったところでその魚は食せるのだろうか。確かに燻製なんかを作る時は桜のチップなんかを使い、香りに効果を産ませることがある。しかし檜の、それも入浴剤でそのような効果は期待できるのだろうか。かと言って持ち帰らないでリリースするのなら尚更サイコである。隣で彼女は涙目になっていた。人の心をもつ彼女にとってはその残虐な光景が胸をつついたのだろう。だがサイコパスと名高い私はニヤニヤしながらその様子を眺めていた。
砂浜を2人で歩いた。手を繋ぐことはしない。詩礎子はストローハットを被っている。浜風が吹くとそれは飛ばされそうになり右手で抑える。僕は彼女の右側を歩く。防波堤を歩く時も右側を歩いた。そう僕はエセ関西人。エセなのでどこを歩く時も右側を行く。彼女が呟く。
「どうして海を選んだの、夏っぽいから?」
何か不満なのだろうか。語末が上げ調子で嘲ているようだった。
「夏だから、ってことでいいかな。あとは砂浜が好きだから。」
「ふん。」
なんだ「ふん」って。「ふーん」でもない「ふん」。関心が無いのは直ぐに理解出来た。
「じゃあどこが良かったんだよ。」
堪らず半ギレで応戦する。
「山じゃない?山だと思うよ、山。や、まぁ、山かな。」
なんだコイツは。執拗い上にギャグも挟む余裕も携えている。
「そっか、じゃあ帰るか。」
不穏な空気が漂う。上空で鳴いたウミネコの鳴き声だけがこの空間に響いている。
「家に帰るってこと?」
「そうだよ、おまえの家はド田舎。まるで山の中だからな。」
僕の悪いところだ。たとえどんなに関係が深い人に対しても直ぐに煽ってしまう。そのせいでこの人生では既に68人と絶縁した。
「またそうやって馬鹿にする。ほら歩くよ。」
彼女は僕のフリーの左手を雑に掴み引っ張り出した。終わりの見えない砂浜を歩き続けた。3h歩き続け、遂に家屋が姿を現した。木造建築の平屋。ざっと見たところ築300年と言ったところだろう。「氷」と書かれた暖簾が軒先で風に乗って泳いでいる。到底人が居るとさえ思えないこの建物でかき氷が売られているのか。疑問に感じたものの僕たちの脚はパンパンに浮腫んでおり、休憩を欲していた為、そこへ向かった。キシキシと音を立てる扉を開けて入るつもりだったが、ドアの前まで来るとそれは音を立てることも無く独りでに開いた。自動ドア。
「君だけだ 僕を僕だと 分かるのは」
思わず1句詠んでしまう。
「何言ってるの?気でも狂った?」
「どうだい?俺のつぶやき?オモロイやろ!?」
某構文で返すと彼女は下手な笑みを浮かべた。
建物の中は空調設備が整っておらず体感32℃くらいの暑さを感じる。カウンターが有るが人間らしい人間は見当たらない。BGMで稲川淳二の朗読が流れている。相当気味の悪い内観だ。
「おじゃましまーーーす」
「ごめんください」
僕が「お邪魔します係」、彼女が「ごめんください係」を務めた。何度か繰り返すと天井から年老いた男性が落ちてきた。
「いらっしゃい?18名様?」
我々は確信した。出逢ってはいけないタイプに出逢ったと。しかしここで冷静さを失っても仕方がない。落ち着きを取り戻し答える。
「18÷2÷3」
計算ミス。1人多くなってしまう。
「3人なの?」
出たマジレス。ガストン・マジレス。さっきまでボケボケにボケ倒していたクセに急に揚げ足取るようなマジレス。このタイプがいちばん苦手だ。
「貴方含めて3人ってことです。」
多少無理のあるリプライ。しかしこれしか無かった。
「そうか、そうか。君たち2人とワシか。」
頼んでもいないのに総括。しんどい。
「ところで貴方がこの家の主ですか?」
「あぁ。そうじゃが。じゃがいも。さといも。さつまいも。長芋。タロイモ。」
クドい。ボケがクドい。
「じゃあ、かき氷、いただいても宜しくて?」
「かき氷?ここでは売っとらんよ。」
「でも氷の暖簾があっ…」
「ガハハハハ。騙されて草!」
「は?」
「ただの氷を売っているだけじゃよ。」
怒りが頂点に達した。が、それを察した彼女が僕を抑える。怒り狂った僕を止めることなど出来ない、筈だった。彼女は漬物石大の拳で僕の頬を殴った。2m82cm飛んだ。僕は静かになった。彼女は爺さんにブチギレている。僕はそれを遠くから見守ることしか出来ない。20分にも渡る抗議を終え、「ただの氷」を買うことなくその場を後にした。これ以上進んでもロクなことは無いと踏んで進んできた道を戻ることにした。波は往路より高くなっている。潮騒。いまこそこれなのかと思いながら同じ景色が続く道を歩む。
「つまんない。」
彼女が口を開いた。確かにこんなところを歩いていて楽しいわけが無い。
「ごめん。やっぱ山だったのかな。」
流石にこんなことになるとは想定してもいなかったから心に傷がついていた。頬にも傷がついているのだが。
「そんなことないの。ほんとに。どちらかと言えば山だっただけ。海でも大丈夫だったsea!」
頭の回転の速い奴だ。こういうところも彼女の魅力。僕がもっていないものをもっている。
「波打ち際、歩いてみる?」
「いいね。そうしよ。先に波がかかった方が負けね!」
「はい。」
ギリギリのところを歩く。最初の波が来た。彼女は際どいタイミングでスルリと回避した。次の波は直ぐにやってきた。いや、デカい。デカすぎる。波に飲まれた。なんとか水面に戻って来たが死にかけた。砂浜で彼女は爆笑している。あいつもサイコだったのか。犬掻きで砂浜に帰還した。
「よく戻って来たね。おめでとう。」
そう言うと詩礎子は僕を蹴り飛ばした。また海にダイブしてしまった。
「なにすんだよ馬鹿」
「蹴った」
「知ってるわボケ」
ずぶ濡れでカムバック。
「車見えてきたね」
「それどころじゃねーよ。勘弁してくれってほんと。」
「ごめんごめん、帰りは私が運転手するから!」
「おう、頼むぞ。おまえ免許持ってないけどな。」
「は?運転させてくれないわけ?」
「させるさせないじゃないんだよ。おまえは出来ない。はい。」
「なるほどね。そっちがその気なら助手席行っちゃうよ。」
「意味分からんけど助手席行ってくれるならそれでいい。」
「ねぇ」
「何?」
「山派?海派?」
「もう山派になった。海は懲り懲りだって。」
「じゃあ今度は山に行こうね。」
「賛成。」
車に乗り込みエンジンをかけると屋根の上で何か音がした。ドンドン。ドンドンドンドン。
「何?怖いんだけど。」
「俺も知らねーよ。なんだ?」
次の瞬間、ボンネットの上に人間が落ちてきた。デジャビュ。
「何名様?18名?」